【映画】西虹市首富
この映画は我不是药神見に行った時に、予告編で見てから興味があった。
正直我不是药神と比べて何か問題を提起したりする映画、というわけでもなかったが、日本よりも開放的?な映画館であまり周りを気にせずにガハハと笑ったのはかなりストレス発散になった。
内容は、
・うだつの上がらない?サッカー選手が多額の遺産を相続するにあたり、条件を提示される。それは「1ヶ月で10億円使うこと」。いろいろ条件があり、例えば慈善目的の寄付等の使い方は認めれない。その中で・・・?
まあなんというか、結局何が言いたいかわからない映画ではあったものの、普通に爆笑できる映画でした。
あと、劇中の卡路里って歌が耳から離れなくて、名曲。
また気が向いたら見たいかんじ。
(以上)
【映画】我不是药神
今年になって映画やドラマにはまってきた。せっかくなので、何らかの記録に残しておこうと思う。もはや和平饭店は記録に残すまでもないので、その他の映画・ドラマについて。
とはいってもしばらく時間が立っているからだいぶ記憶も薄れてきてる気がする。
ということで、まずは我不是药神から。
実は中国に来て初めて映画館で観た映画がこれになった。
なんとなく映画館で映画を見たいと思っていたこと、そして何人からもこの映画がいま中国でかなり流行っていると聞いていたことがきっかけ。
内容は、ざっと、
・ローションショップのオーナーが店の家賃を滞納して追い出されんとしていた矢先、薬の密輸の話を持ちかけられる。
・当時の中国では白血病の薬が一社独占で提供されており、価格が非常に高かった。一方、インドには同等の効能を持つ薬が非常に安価で提供されていた。その薬を中国に輸入するというもの。
・当初は金儲けのためだった。だがしかし、その後話の流れがちょっと変わってくる。
というもの。
実際見る前は単なるコメディだと思ってた。事実、コメディではあった。声を出して笑うことも度々あった。
ただ、途中から映画館はすすり泣きの声で埋まってくる。事実自分も久しぶりに号泣したんじゃないかというくらい泣いた。
この話は実話に基づいている。
日本でも薬価の問題はある。
確かに製薬会社にとってみればいつ実るかわからない研究開発に多額の費用がかかる。そうした費用を回収するためにも、効能の高い薬品が出た場合は特許期間中は特に薬価は高くなる。日本の場合は国庫負担が大きく、毎年製薬団体側と予算当局間の薬価改訂の折衝が激しく行われる。
しかし、中国の場合は、日本のような皆保険制度ではなく、低所得層が必要な医療を受けられないケースが多々ある。
中国の公的医療保険制度について(2018)-老いる中国、14億人の医療保険制度はどうなっているのか。 | ニッセイ基礎研究所
こうした医療政策に関するテーマはよく取り上げられている。いま見ている最中だが、以下のドラマ(急诊科医生)も名作。このドラマはなんなら药神よりも泣いた気がする。特に火鍋屋の回。あと30話くらい残ってるので早く見なければ。
ひとまず雑なメモになったけど、備忘まで。
(以上)
旧満州旅行(大連・旅順)
<Contents>
1.大連到着
もう19時半近くになって、やっと大連に到着。
この度、暑すぎて毎日一日一食程度(晩ご飯だけ)とかだった。晩ご飯になるとまあまあ腹は減っていて助屋という日式?レストランに入る。助屋だけでも日本っぽいけど、それをあえて再度日本語に翻訳するクオリティ。
大連には不思議な日本語や、パクりが多かった印象。
ミスったのが、金州区というところにホテルをとってしまい、大連駅からホテルまで20キロくらいあったということ。ホテルに問い合わせるも、ネットで予約してるから取り消しできないとのこと。まあ、ビジネスの中心地みたいなところで、日系の飲み屋やマッサージ店みたいなところが結構あったし、まあ使い勝手は悪くなさそうだった。
ホテルからの夜景。マンションの一部がホテルになってる感じ。駐在員になった気分。しかも無駄に広くてベッド2個あるし。ここでも前日見た新喜劇、全く同じものが放映されていて、見る、泣く。
そして、寝る。
2.旅順へ
翌日、旅順は水師営に向かう。タクシー使うと楽かもだけど、困ったらあえて困難な道を選ぶと佐藤可士和も言っていたから、極力公共交通機関で移動することにする。
大連駅につき、バス乗り場に向かう。一昔前の中国感が漂う。バスチケットは7元。一時半も揺られるのに7元とは、格安な気がする。
しかし、バス乗り場が見つからない。というのも、市バス的なのとは違うバスのチケットを買ってしまったもよう。新聞売ってるおっちゃんに聞く。なぜか怒鳴られる。無論何と言ってるかは判別不能。困る。
結局違うおじさん捕まえて、いろいろ探したり聞いてもらったりしてバス乗り場発見。明らかにバスは到着しているんだけど、12時の発車まで運転手は寝ているみたい。
1時間半経過。旅順到着。到着早々、マクドナルドのパクリを発見する。
雰囲気は、郊外といった感じ。大連の市街地では日本語や韓国語の表記や放送がよく聞こえたが、旅順では本当に中国語だけ。
ひとまず、日露戦争は旅順軍港攻防戦の停戦条約が結ばれた地、水師営旧址に向かう。
一度携帯の地図上に表示されたところに向かったら何もない空き地についたので、再度住所を入力してなんとか到着。
水師営では日本語がペラペラのガイドが解説してくれる。内部は撮影禁止だそうだが、外で何枚か撮影する。
ちなみに、ここで、日本軍が残していったものとして、満鉄時計が置いてある。彼女たちの説明によれば「日本軍が置いていったもの、中国人は不要」とのこと。ただ、そこに置いてあるのはレプリカで、しかもSEIKOとか満鉄時計に入っているべき文字は入ってなかった。また、違う売店には、本物っぽいものも置いてあったが、6000元とか書いてあって手が出せる代物ではなかった。
他にも関東軍司令部とか、いろんな史跡はあったのだが、大連でもいろいろめぐりたいと考えていたため、ひとまず水師営だけで旅順を後にする。
バスセンター行きのバスに乗る。バスに乗る前、お金の入れ方が毎度不安なため、近くのおじさんに話しかける。そしたら、そのおじさんと話が盛り上がる。結局、バスセンターまでいろいろおしゃべりをする。
以前、満州地域は日本が公共事業投資を行ったりした一方、大連・旅順は満州ではなく、いわゆる植民支配地だったため、旧満州地域と比べ反日感情が強い、と聞いたことがあった。今回実感したのは、もちろんそういう傾向もあるかもしれないが、そういうフレームで画一化できるほど人の感情というのは単純ではないということだと思う。少なくとも、一緒にバスに乗ったおじさんは優しかったし、温かかったし、日中の政治的な軋轢を彷彿させる何かは感じられなかった。
一方、その他の旧満州の人たちが果たして「日本人大好き」かというとそういうわけでもない。政治や外交では、国というプレイヤーが主体であるものの、人と人との交わりでは、あまりその国の歴史が、(たしかに政治の話とかをするときは別だが)目の前の人の評価に関わってくることは、最近では少なくなってきてるんじゃないかと思う。
3.大連着、ロシア風情街、横丁
日も暮れかけてきた時分、大連に到着。急いで回れるところを回らなくてはならない。大和ホテルは翌日に回し、閉館時間のないロシア風情街に行く事にする。
適当に歩いていると果物市場を通る。もう営業が終わっていたみたいだったけど、やはり北京や上海の様子とはちょっと違う、レトロさを感じる。
一方、遠巻きには高層ビルやホテルも見える。
線路の向こう側は栄えている、そんな風景は日本でも見受けられる。
長距離バス乗り場。大連→南京とか書いてある。どれくらい時間かかるんだろう。
どこにでもあるポストだけど、オシャレに見える。ただ日本でも、そもそもポストという存在自体がレトロの代名詞のような存在になってきている気がする。
日露戦争まではロシアの影響力が大きかった大連。ロシア風情な場所を発見する。ホテルになっているそう。この時は気づいていなかったけど、ロシア風情街はまた別の場所。
逆光。機会があったら泊まってみたい。
ひとまずロシア風情を感じたつもりになって、駅に引き返す。 そうこうしているうちに、腹も減ってきた。趣ぶかい横丁がある。
ウイグルのおっちゃん。すげえ個性的だった。何かウイグル語を教えてもらったけど忘れた。羊肉の失敗のなさ。美味。大ぶりの串1本で10元。
餃子(2種類×2個+小龍包1個)で3元とか。安すぎて値段を聞き返す。なお、ビールは4元。ただ、結局物足りずに、もう一本羊肉串を追加。
帰り道、何度電話しても繋がらなかった大和ホテル(大连饭店)を一目見て帰ろうと、歩き出す。すると、本当のロシア風情街に出くわす。さっきのホテルもいい感じだったけど、もっと大規模。
色合い等が、その他の満州レトロな建物とは異なる。ロシアっぽい。
いい具合の夕日もあり本当に綺麗だった。
日本のクジ引き屋にあたるんだろうけど、知能パズルが解けると商品をくれるという出店。(本当に解けるのかどうかは知らないけど)教育的に良さそう。
土産物屋がたくさんあった。ロシアチョコや、双眼鏡・望遠鏡、ナイフ、洋酒入れが売ってた。北京なら望遠鏡買っていたのに、というくらい安かった(100元くらいだったはず。)。
ハルビンに行くし、土産はそっちで買おう、と思っていたけど、蓋を開けてみたら(個人的には)ハルビンよりもこっちのほうがいろいろ選びやすかったきがする。何かしら買っておけばよかったと今更ながら後悔。
満足してバスに向かう。その途中、日本のとある役所にそっくりの建物を発見する。確かにあそこも結構レトロな場所なんだよな、と改めて感じる。
バスに揺られてホテルに着く。近くの足マッサージに行く。サービスがいたれりつくせり、フルーツもあり、なんなら餃子まで出てきた。お茶も美味しい。店で配合している薬膳茶らしい。店員さんと話が盛り上がる。至福。
http://www.dianping.com/shop/70448904
ホテルに戻り、翌日の電車を予約して就寝。
4.大连饭店、満鉄本社址、満鉄時計
17時台の電車までまだ時間はある。大和ホテル、そして満鉄本社址を見なければならない。あわよくば、満鉄時計を買えないかなどと思いつつ、大連駅近くに向かって歩き出す。道すがら、日本の有名ラーメン店の看板に似た看板を発見する。あのラーメン屋は博多ラーメンだった気がする。
大連駅に着く。腹が減る。ちょうどラーメン屋がある。おしゃれ系ラーメン。店員もめちゃくちゃ丁寧な日本語を話してくる。大連駅近くは日本語が通じるところが多いことを再認識。
大連にも中山広場がある。円形の公園から放射状に道が伸びる。ドイツもそんな感じの街らしいと聞いたことがある。
ついに大連飯店に到着。
電話が通じないはずだ。スタッフがおらず、いるのは守衛のみ。きくならく、現在営業停止中とのこと。
ただ、カフェは営業中。
夏目漱石が来たというカフェ。夏目漱石に思いを馳せる。小学生の時に格好をつけて、夏目漱石の漢字使いを真似していた。なにかのテストで、弁護士という単語が思いつかずに、「代言人」なんて書いたこともある。小学生のときの文集を見たらしかしを「併し」なんて表記をしてる。実に痛い。他人の人生も同様に黒歴史で構成されているのか、本当に気になる。
そして満鉄本社旧址に向かう。現在は鉄道局のオフィスにもなっているそう。ただ、入口が見つからず、鉄道局の正面から入ってしまい、守衛を困らせてしまった。なんならその前にも場所が分からず、鉄道関連の検察員の人に道を聞いてしまう始末。
中の展示は基本的には撮影禁止。ただ、内装は写真を撮っていいとのことだったので撮らせてもらう。
一通りの展示を見た後、土産物コーナーに案内された。懐中時計が置いてある。その文字盤にはOMEGAの文字もある。ここでどういうやりとりがあったかかはあえて書かないが、結論以下のようなサイトに事前に目を通した上で売っているものが当時のものか、レプリカか、それとも偽物かは自分で判断する必要がある。
【骨董?】オメガの球体時計について教えて下さい父に骨董市で購入した球体... - Yahoo!知恵袋
南満洲鉄道(満鉄)精工舎製・オメガ製懐中時計 ( その他趣味 ) - 音顧値針 蓄音機 SPレコード 骨董 辺境の旅 - Yahoo!ブログ
あえて書かないが、最近の中で最も頭を使って中国語を話す機会に恵まれた。
そうこうしているうちに、電車の時間が近づく。タクシーで駅まで向かう。行く途中渋滞に巻き込まれる。事故だ。この留学で、本当によく事故に出くわす。あと、タクシーの運転手が、サックスが好きなのか、サックスのプレイリストを延々と流していた。
大連の夕日。満州の夕日は開拓への野望を感じさせるギラギラとしたものだったと誰かが言っていた。 大連は満州ではなく、また、当時とも時代は異なれど、経済成長への野心を感じさせる大連港を見る。黄昏時のサックス。悪くない。
(以上)
旧満州旅行(瀋陽)
そういえば先日、旧満州旅行してきました。
こっちに来て、和平饭店というドラマを見て、当時の歴史に興味を持ったことがきっかけです。
その後、知人に『虹色のトロツキー』(2000年3月, 安彦 良和著)という漫画を紹介してもらい、読んでみて、その関連の史跡に足を運んでみたいと思いました。また、他の知人から「観光コースでない『満州』瀋陽・長春・ハルビン・大連・旅順」(2005年11月,小林慶二著)という本を借りたのも起爆剤になりました。
トロツキーの舞台は中国全土に渡り、ノモンハンやイーニンといった、この漫画のコアにある史跡を訪れることは叶いませんでしたが、当時の満州、そして日中戦争という時代がどういう時代であったかを感じることはできたと思います。また、それぞれの和平飯店「風」ホテル *1をめぐることはできました。*2*3
<目次>
1.移動
朝起きれるかどうか不安だったけど、なんとか頑張って起きて、高速鉄道で瀋陽に向かう。
人多いなーって思いつつ、のちに行く長春では卒倒しそうでした。まあ、春節の帰省ラッシュと重なればそんなものではないのでしょうが。
約5時間で結構くたびれてたけど、中国だとまあまだ行ける的な時間です。高速鉄道じゃなくていわゆる火車だと、もっと時間かかる、寝台で寝てもしんどい、いわんや硬い椅子の場合は・・・的な感じ。
5時間寝倒して、なんとか瀋陽に到着。
大正モダンな感じの駅を見てまず感動。
まさにドラマで見たような建物が立ち並び、テンションが上がる。
2.ホテル
この日止まったのは遼寧飯店。いわゆるヤマトホテル。今回旅行行った中で泊まった大和ホテルはここだけ。その他は人気だったり、営業停止してたり。
見ただけで相当テンション上がり、キャーキャー(心の中で)言いながら写真撮りまくってた。
100年も経ってるかな?って思ったけど、開業が1907年ですね。経ってました。そうだ、日露戦争(1904年(明治37年)2月8日 - 1905年(明治38年)9月5日)が満鉄のきっかけになったもんね。
中国の有名宿泊客一覧。昔の日本人も沢山泊まっていたはずですが。ちなみに、与謝野鉄幹・晶子夫妻も奉天と呼ばれていた時代に遼寧飯店に泊まっているらしい。ただ、与謝野晶子が泊まった時は奉天駅の目の前に建っていたのだが、その後、現在の位置に移転されたそう。
この写真が、与謝野夫妻が宿泊した時代のものかは不明。多分今の位置に移ってきた後じゃないかな。
カフェもおしゃれ。カッフェーって言った感じ。
ピアノ。かわいい。ドラマだと、バレリーナっていうソ連の外交官がよく食堂のピアノ弾いてた。
やばい、ハルビン、モデルンホテル巡って満足してたけど、ヤマトホテル行くの忘れてた。
エレベーターホール。やばい、やばい。かわいい。
やばい、大正モダンな歌手が歌ってそう。というより歌っててほしい。ドラマだったら第一話で王大顶が逃げようとして、忍び込んだところに関東軍がいて(略
ここでご飯食べたかったけど、一人で入る勇気はなかったです。
3.瀋陽故宮
ひとまず、ホテルの中を楽しんだので、瀋陽の街に繰り出す。*4
中山広場の革命の象徴。
やはり、シェアリングサイクルが手軽に使えるのは便利。ただ、猛暑の中、三キロくらい走って汗だく。瀋陽故宮へ。
後金のヌルハチ、そして清朝最初の皇帝ホンタイジの治世の首都だった瀋陽。1644年順治帝の治世に李自成が北京を占領し、明を滅ぼすまでの首都(だったらしい。)
お土産物屋さん。楽しそう。店の前の日陰で観光客が涼んでた。
入場料現金オンリーだったため、知らない人を見つけて、WechatPayでお金を渡しつつ、現金を調達。傍から見たら単なる怪しい外国人。
昔の王朝って感じ。ただ、この近くで小さな女児が野糞し(略
ラストエンペラーにも皇帝の玉座的なところが出てきてたけど、そう考えたら北京故宮の迫力が半端ない。如何に北京宮廷の力が強大だったかがわかる。
ただ、同じような建物ばかりなのと、暑すぎるのとで、結構すぐにへとへとになってた。
ちなみにここの階段の手すり?の部分の色がすごく綺麗。
お妃の寝室、とかだった気がする。
多分ここに座って政治に携わってたんじゃないかな。いわゆる幹部室。
ちなみにこのあと大量にアンティークをみました。当方北京で骨董研究会なるところに顔を出していて、そっからにわか中国骨董ファンです。大量にアップしてしまったので、ご関心があったら以下のリンクから見てください。
ということで、瀋陽故宮は満喫。暑すぎて少々ふらつく。張学良の旧居に足を運ぶ。
4.張氏師府
そういえば、清朝末期から中華民国初期にかけて各地の軍閥が相対的に勢力を伸ばしていたなんてことを世界史で習ったことを思い出す。
日本軍は軍閥の長であった奉天軍の長であった張作霖を利用しようとするが、次第に方向性の違いが顕在化し、最終的に奉天駅付近で張作霖の乗った列車を爆破したという事件があった。
その息子張学良は、西安事件で蒋介石を軟禁、国共合作を実現させた。なお、その後は禁固刑に処せられ、また戦後も蒋介石の台湾逃亡に伴い、90年まで自宅に軟禁されていたが、94年に名誉回復、その後ハワイで生活し、2001年に没したそう。*5
歴史が動いた場所にいる感動を感じながらも、ちょっと流石に暑すぎるし、瀋陽故宮でも歩きすぎてちょっともう疲れ果ててたし、なんなら便意を催していたこともあり、早急にホテルに帰らねばならぬ。そう思いながら改めてチャリにまたがる。
そしてまた中山広場。便意というものは波があるもので、この時には少々落ち着いていた。
せっかくなので、満州時代の旧址を写真にとって回る。
関東軍司令部の旧址。淡々と撮る。
遠まきにも。
ホテルに着いた。コーラ買ったら20元もした。ただ、せっかくなので、ホテルのカッフェーで一服。
5.夜ご飯
ちょっといいものでも食べよう、と思って浮つきながらホテルを出る。
すっかり日も暮れてきた。中山広場では广场舞を練習する中高年が沢山。
なんだかんだで和食が一番、ということで、日式居酒屋に入る。頑張って中国語で話そうとしたが店長実は日本人みたいで「とりあえず生にしておきましょうか?」なんて言われる。へへっとか言いながら生をもらう。うまい。
お通しにキムチとかたこわさとか、お通しででなくても頼みそうなものが出てくる。
結局串の盛り合わせ、フォアグラ、牛肉ステーキを食す。うまし。うまし。うまし。
ちなみにフォアグラは、フレンチトーストの上に、ブルーベリージャムがかかった状態で出てきた。シャレオツ。
いろいろ最高。興奮しすぎて写真撮るの忘れてた。
ステーキのみ。めっちゃうまかった。塩コショウ大好き。大好き。塩コショウ万歳!居酒屋絆、瀋陽行ったら是非行ってみてください。
沈阳絆居酒屋点评,絆居酒屋地址_电话_人均消费,沈阳餐厅 - 马蜂窝
すっかり酒に弱くなった。ほろ酔いで、ホテルに帰る、別途に横になってドラマ見たり、コメディ見たり。翌日の電車のチケットとホテルをやっと予約。
父親と娘のコメディ(新喜劇みたいなやつ)を見て感動して泣く。そして寝る。
一日目終了。
6.旧満鉄事務所址、そして大連へ
昼過ぎの電車を控え、午前中、最後の瀋陽を満喫。
張作霖車両爆破址に行こうかと思ったけど場所がわからず断念。また九一八記念館も改修中。この旅、主要スポットが改修中という展開が結構あった。
結局チャリでぶらぶらして、旧満鉄事務所址を発見。
今はホテルとして利用されているそう。値段見たけど遼寧飯店より高かった。
中を探索しているとおしゃれなカッフェーを発見。行くあてもないし、ここで時間を潰す。
並ぶ鉄道年鑑。車両のデータとかばかりでよくわからなかった。
カフェからの帰り道、せめてモノ悪あがきで客室フロアを撮影。
ロビー。かわいい。
展示物も可愛い。
時間も近づいたし、瀋陽駅へ。内装が東京駅丸の内口を彷彿させる。
これから5時間程度。ちなみにこれは火车。高速鉄道ではないので少々ゆっくり。
包头(内モンゴル)行ってみたい。
地味に寝台列車。如何に自分のフロアが狭いかということを写真に収め用としたけど、どうもスキルが足りず。なお、広さは畳一畳分程度、高さは大体70センチくらいか。三段ベッド。登るとき何回も頭ぶつけた。
正直5時間眠くもないのにエアコン直下で5時間移動というのはしんどかった。本でも読もうにも酔いそうになる。動画をみて5時間過ごす。
(続く)
*1:(旧満鉄が建てた「ヤマトホテル」と、ハルビンのユダヤ系ホテルのモデルンホテル。
*2:正確には、和平飯店というまさにドラマと同じようなホテルが上海にあります。いつか泊まってみたい。せっかくの機会ですので、少し備忘録的にブログにしておこうと思います。
*3:なお、8月は終戦記念日もあり、いろいろ感じることもありました。しかしここで先の大戦に対する解釈を述べることはしません。実際多くの史跡を巡り、そこで抗日の歴史を説明する展示も拝見しました。ただ、歴史をひとつ方法での切り取れば、他の見方をする人たちの反発をうむことは必至です。「正视历史,面向未来」という言葉のとおり、多くの歴史を直視し、それを元に未来を築いていくことが大切なのだと思います。そういった意味で、今回の旅行は、個人的には、未来につながる旅行になったと思います。
*4:客室の写真撮るの忘れてた
*5:
瀋陽故宮のアンティーク達
アンティーク系、選別してアップロードしようかと思ったけど、さすがに選別しても可愛すぎて是非紹介したいので、別のページに載っけることにしました。以下、瀋陽故宮所蔵のアンティークたちです。
女真族っぽい。かわいい。
かわいい。
かわいい。(語彙力
ヌルハチやホンタイジは関係なくて、確か康熙帝とかそこらへんの時代だった気するけど、清朝になってから、塗料もかわり、滲んだりしてない繊細なデザインになったそうです。
かわいい。ていうか語彙力のなさは悲しいけど純粋に可愛くない?
色めっちゃ綺麗。
かわいい。なんていうかヨーロピアンテイストな感じがするけど、シノワズリとか言って、中国の陶磁器がフランスで人気あったということを考えると、何がヨーロピアンで何がオリエンタルなのかはよくわからなくなってくる。
綺麗。嘆息。丸み、赤み、全てにおいてセクシー。
テイストがまた違う、シックで大人の洗練された壺。
というか、色彩の豊富さが幅広いよね。
単色もいいけど、多彩な色彩を見ると、キャスキッドソンみたいでかわいい。
これとか、ぱっと見ると、日本の鞠みたいなんだけど、近くでよく見ると、デザインは中華王朝的なんだよね。やっぱり、日本と中国と、美的感覚的なところでは似てるところが多いんじゃないかな。
これもどことなく中央アジアンティスト?な印象を受ける。
ひとまずはこんなところ。瀋陽番外編でした。
スーパーで
単語はわかっていながらも、声調が間違っていたために通じやしなかったもの。
そもそも単語さえもわかっていなかったもの。
自戒も込めて。